たいてい話の中身は覚えていない
2020/04/25Nさんが、読んで良かった本を送ってくれたとき
悲嘆という荒波に、溺れそうだった私は
浮輪を投げてもらったような気がした。
しがみついた。
Nさんも同様の浮輪にしがみついていて
二人とも、浮いたり沈んたりしていくのだけれど
何度も波にのまれるうちに、いつしか
もらった浮輪、すり抜けていってしまった。
見るとNさんも、すでに浮輪を失っていて
自力で泳いでいた。
また別の浮輪を見つけては、しがみつき
私も泳ぎ続けた。
支えは、同じように近くを泳ぐ仲間たちの姿。
一人出会い、二人出会い、次々と出会えた。
どこに行き着くのか、わからなかったが
とにかく、上陸できる島を目指した。
あれ?と思い、やめた島もあるが
(その島には、カリスマ会長様が鎮座していた~)
やっと、小さい無人島に泳ぎ着いた
という感じ。
この島が、どんな島なのかも書きたいが、
きょうは、当初の、「人の話」の受け取り方について。
私も、Nさんも、出会った多くの当事者は
まだ日が浅いうちは、人からの「いい話」は、
聴いても、ほとんど受け取れていない。
つまり、活用できていない。
そのような体勢は、整っていないからだ。
でも、無駄な親切ではない。
優しくしてもらったこと
気にかけてもらったこと
相手の心や行動そのものは、記憶に刻んでいる。
肝心の、中身が、すっかり残っていないのだ。
もし残っている人がいるとしたら、
本人が、よっぽど求めていた言葉だったのだろう。