私だけが「いい言葉だ」と思っていた

2020/06/29

「あゆみちゃんに、かわいそうと書いたらいけないんですか?」

と、小学生が先生に疑問を呈していた件、

私は、あゆみのこと「かわいそう」と書いていいし

何でも思うとおり書いてくれたらいい

と思ったのだけれど、考えてみたら

「可哀そうな子と言われたくない」と

お子さんを亡くされた方から、よく聞くのだった。

 

可哀そうな子、と

可哀そうな目にあった子、の違いかな?

前者は、あわれな感じを受けるが

後者は、状況を捉えているように、私には思える。

 

あゆみには、ほとんど闘病がなかったが

もし、治療に耐え、闘病がんばったのに報われなかった

という経緯があったとし、そのことを「かわいそうに」

と言われることを、私も、言われたくない

と思うのだろうか・・・

 

よくわからない。

思わないような気がする。

 

言い方なのだろうか?

言葉そのもの、なのだろうか?

 

私は、ほとんどの当事者が、この言葉イヤ!

と感じている言葉を、

とても良かったと思っていたことに気づき

ひゃ~となったことがある。それは、

 

「あゆみちゃん亡くなったんだって・・・

つらいよね、私だったら生きていけない。」

 

多くの当事者は、

生きている私はなに?生きていたらいけないの?

「私だったら」って、なぜあなたが基準?

と感じるそうだ。

 

私は、生きていけないほどつらいことだと、

この人は、最大限に認めてくれている

と感じていた。

 

そもそも、よくズレてるのかもしれない。

でも、言葉の概念、受け取り方には、

ものすごく個人差があるのだろう。