いくつかの条件が整ってこそ悲しめる

2021/10/04

お子さんを亡くされ、特に日の浅いうちは

「朝がつらい」

と、よく言われる。なぜなら、目覚めるなり

わが子のいない一日が、また始まるから。

わが子の姿がない現実を、突きつけられるから。

 

この辛さは、相当なものだと私も思う。

その一方で、このような言葉にも胸が痛む。

「眠っても、眠っても、朝が来ない」

 

こちらのほうが心配な点がある。

眠れない身体的なきつさが、加わるから。

やっと眠りにつけても、すぐに目覚めてしまう。

 

「眠れますか?」と、よく尋ねるが

起きている間中つらくても、夜は眠れる人、

とても良い状況。

悲しむための体力を養うことができるから。

 

つらいことばかりの中に、

1つ「いいこと」としてカウントしてほしい。

悲しむことは、大事と言われているが

実は、悲しめることは、

いくつもの条件が整ってこそなのだ。

 

条件の一つが、

体の不調が(あまり)出ていないこと。

ほかの条件は、また明日書きます。