誰のせいでもないと言われたら言われたで
2023/07/07心肺停止の赤ちゃんを救急車が搬送する際に
タイヤが溝にはまって、搬送が6分間遅れ
赤ちゃんは病院で死亡が確認された
という記事のことを2日に書いたが、
その後、
救急車のアクシデントと赤ちゃんの死因の
関連性はなかったと発表された。
血液を知れべれば、その成分から
蘇生できる可能性と、できない可能性が
判明するらしい。
このことは、その後も気がかりで、
赤ちゃんの死に人災が加わらないことを願った。
ところが
誰も影響を与えていないないという結論が出たら
出たら出たで
脱力するものだ。
矛盾した感情ではあるが、
じゃあ何で!?!
というところに行き着くしかないからだろうか・・・
あるいは
人災でなくて良かった、とならないのは
一人の子どもが亡くなっているのだから
「良かった」はどこにもないからだろうか・・・
あゆみが亡くなったとき、
この「良かった」は、言われた。
またたく間のことだった。
だから私は理解が及ばず、うろたえた。
気が狂いそうだった。
でも、
「考えようによったら良かったかもしれないよ」
に続く言葉として、
「あゆみちゃんは苦しまずに済んだはず」
苦まなかった
このことは、とても大事。
この逆は、とても辛い。
だからといって
「良かった」は
私たちにとって
どこにもない
と思った。