部屋の一部になっていた家宝のテーブル
2025/03/22きょう、東京の「つどい」で
なくなった子どもの持ち物を
どうしている?
という話題になった。
私には何もない・・・
全部手放すんじゃなかった。
と今さらながら悔やんだ。
あれよ、あれよという間に
知人の勧めで、供養を、となり
お焚き上げ(?)することに。
あゆみのために
と思うことは、何でもやった。
何をしてあげても足りない、と思い
今からでもできることが、あるなら、
それを考え、見つけ出すことが
当時の自分には必要だった。
で、その「供養」をやって
手元には何も残っていない。
と思っていたら!
きょう
「テーブルがありますよね」
と言ってくれた人がいた。
テーブル?
あゆみには机もないし
テーブルとは??
あーーー!!
ある!ある!
毎日ご飯を食べているテーブル。
このテーブルの、天板の下を、
横につらぬく木の棒のこと
何と呼ぶ? 梁(はり)?
その棒に、あゆみはいっつも
つかまり立ちしていて、
スクワットしていて、
時にはかじりついていた。
その歯形が、くっきりと残っているのを
見つけたダンナは
このテーブルで一生ご飯を食べる、と言い
毎日、ご飯を食べている。
なのに、毎日、目にしていると
在るということを、見失いがちだ。
遺影がそう。
毎日顔を見ているのに
部屋の一部になってしまっている。
そんな、あゆみのテーブルのこと
きょう「つどい」で言ってもらって
初心に戻った気がした。
言ってくれる、
知っていてくれる人(友)と
出会えて、過ごせていることに
心から喜びを感じた。
心から喜びを感じられる自分に
いつからか、なれていることが
また喜びであった。