「だから誰のせいでもない」に至るためには
2026/01/07突然の病気で突然子どもを亡くしたら
後日に、もう一度担当医に会って
その時の状況を詳しく聞きたい
と考える親は少なくない。
特に聞きたくはない
という親も存在するだろうが
このあと、流れはさまざまに分かれる。
お困りのことがあれば連絡ください
と言ってくれるような病院がある。
実際、連絡すると、歓迎される。
そう言われなくても、勇気を振るって
連絡し、訪ねて行く親もいる。
しかし多くは、
行きたい思いを持ちながら、時間は過ぎて
訪ねようがなくなっていく。
なかには、訪ねて行ったが
会えなかった親もいる。
そんなことを、
遺族ケアに関心の深い小児科医と話し、
その先生から
「親は医師を責めるつもりなどなく
もう一度説明が聞きたいだけなのに」
と言われて、「そうなんです!だから
もっとスムーズに会えるようにしたくて」
と言ったところで
ハッ、となった。
私はあの時、
本当はどうだったんだろう…
あゆみが、突然の病気で突然亡くなり
担当した医師に会いたいと頼むと
私は会わせてもらえなかったのだった。
時間をとって貰えたので、行ったら、
別の医師が出てきて、本人は会わない
ということだった。
ここで、私は本当の感情を見失った。
会えれば、
静かに話を聞き
御礼を言うなどして帰ってきたように思う。
別の医師では、話が頭によく入らないまま
私が会いたいのは、あゆみの一部始終を
その目で見て、
実際に治療に当たった医師なのに…
何で?
どういうこと?
からの
どういうつもり?!
という感情が出てきて
つらさは倍増してしまった。
だから
「親は医師を責めるつもりなどないのに」
と言ってくれた言葉は
その限りではない気がしてきて
今になって戸惑ってしまう。
助けられなかったことを責めるつもりなど
なかったことは、確か。
そういう病気だったのだろうから
と、医師を擁護するかのようだった自分が
変わったのだ。
向けられた態度によって。
とても残念。
「そういう病気だったのだろう」
という曖昧な受け止めを
「そういう病気だったのだ。
だから誰のせいでもない」と理解し、
腹に落とすために
実際に子どもの治療にあたった医師に
会うことの大切さ、
そうだ、もう一度ここに立ち戻らないと。