悲しみは歳月とともに何処に向かうのか
2026/06/07よその遺族会の代表と話していて
どうなんだろ… と考えることがあった。
運営していくなかで、つらいこと
あると思う。私もあるから。
私にとっては、つらいことは、きつい。
とってもつらくなることも、ある。
ところが、その人は
何があっても、そんなにつらく
ならないらしい。
なぜか?と聞くと
「届かないから」。
お子さんを亡くしたときのつらさに。
それはそうだろう。
どんなことが起きても
どんな目に遭っても
あの時の気持ちのところまで行かないだろう。
これって、遺族会をしていなくても
普通に暮らすご遺族だって
どんなことも、あの時のつらさを
越えるつらさは、二度とやって来ないはず。
ただ、「届かない」ところに置いておくのも
それはそれで、つらくはないか?
最初のうちは、
つらさは増すばかり、深まるばかりで
底はあるのだろうか…?
と思いながら暮らした。
底はあった。
その後がナゾだ。
生きづらさで言うと
少しずつ生きやすくなっていった。
生きやすくなるにつれ
悲しみは、底から上がって来るのだろうか?
悲しみは、とどまるのだろうか?
自分の中に持ちやすくなる
という表現は、よくされるが、
その人の言う「届かないから大丈夫」だと
ずっと深い所に置いておかないと…