このごろ、いつも、うわてです。
2008/04/02 冬から春にかけ、わが家はいくつも節目が重なった。
あゆみが亡くなって10年。
兄の中学校卒業。
そして、私のがん治療から丸5年。
子宮がんの克服は、5年(生存率)を目安にする。
きょうがこの関門を通過できるかどうかの定期検診だった。
先週造影剤を入れて撮ったCTの結果をきょう知らされた。
大丈夫だろうと思っていても、もしもを考えたり、
そうでなくてもいつも病院の建物に一歩入るなり
入院中のにおいやあらゆる記憶が瞬時に蘇る。
「問題ないですね、大丈夫ですよ」
主治医のこの言葉が自分に向けて発せられていることを
どこか客観的に私はとらえていた。
こういう風にしてこの時を迎えるんだあ、と。
「あのとき」はまったく主観的に、しかも無防備に告知を受け
いすに座ったまま急降下していった。
あのワタシと、この私が、同一人物というのも不思議だった。
帰り道、人生のなかで嬉しかった日に加えようと思った。
家に戻って、興奮気味に息子に報告したら、
思いがけない表情と言葉が返ってきた。
「なんか、こわいな……
かあさん言ったよね、せめて5年て。
僕が中学卒業するまで命をくださいって、祈ったって。
これからが大事やねんで。
これから、ほんまに自分で命だいじにせなあかんねんで」
そんなことまで、覚えてたんやね。
追記
CTの検査はものものしい。
今回は、たぶん大丈夫と思って受けたが、
5年前の私は口もきけないほど弱りきっていた。
あのとき、こんな医療スタッフの姿が目に入ったら
非常にかなしく、心は傷ついたと思う。
スタッフ同士が仕事と無関係なことをしゃべりながら、
そして笑いながらの対応。
目の前の患者がどんな深刻な事態にあり
どんな思いでこの台に乗るのか
彼らは感知していない。
たまたま私は確認のための検査に来た患者であったが
かつて重病人だったワタシが胸のあたりでうずいた。