医療スタッフはもうひとつの遺族

2008/11/01

会報の印刷がうまくいかなくて、きょうは参ったー。
今月号は文字がとっても薄いです… ゴメンナサイ。
原稿仕上げて、コピー用紙を買って、公立の会館の印刷機を借りて刷る。
え〜 いつもさかしたさんがやってるのっ!ってよく言われるけど、
やってるよ。前にやってくれていた会員さんが、ずっと不調なので
その人に復帰してもらいたいから、それまで誰かにふらずに私がするのです。
たいていの会は印刷屋さんに出すようですが、
会報は素朴でいいと思っているので、まあ手作りの学級通信みたいなもんです。

寄稿をしてもらった看護師さんは、ほんとうに心あるかたで
こういうかたに出会っているから、医療に向けてまた頑張ろうって思える。
赤ちゃんへの思いがとても厚くて、
実は私は、医療者のグリーフについてはあまりわかっていなかった。

その看護師さんがつぶやいた言葉が、ずっと心のなかにある。
「赤ちゃんは勝手に動かない。
いる場所が決まっていて、必ず同じところにいる。
だから、亡くなると、その子はいなくなってその子の場所だけが残る。
その子がいない場所が、いつまでも淋しい」

そうだなー 少し大きくなると、じっとしていなくて、病棟のなかを動き回われる。
そういう子には特定の場所だけだったのではないな、確かに。

NICUで赤ちゃんを看護したり、お世話してきた看護師さんのなかに
赤ちゃんが亡くなるたびに心が傷つき、癒えないままでいる人が何人もいることを
最近知るようになった。
そのときそのとき、最善を考えてきたつもりでも、失ってしまうと、
あのときはあれでよかったのだろうか、とか
もっとしてあげられることがあったのではないか、とか
後から後から考えるらしい。

お母さんはそういうこと知らないのだろうか。
看護師さんが「私もつらい」と、感情を表してくれたら
うれしいのではないかと思う。私だったらうれしい。
看護師さんも失った人で、遺された人なんだーと思った。

家族には家族の悲しさがあり、
医療者にもまた悲しさがあるのだろう。
何年経っても、看取った赤ちゃんのことを忘れずにいてくれることに、救われる。