1月17日は、いのちのことを考える日になった
2010/01/20 1月17日は、あの阪神淡路大震災から15年を迎える日だった。
私の実家では、家が傾き、寝ている布団の上に家具が倒れたと聞いているが
家族にけがはなかった。
近所では屋根の下敷きになった人も、そのまま炎にのまれた人もいた。
その後、私は、立て替えた実家で、暮らしている。
Kちゃんのお母さんと会ったのは、1月17日。
やはり震災の話になり、私は、話を聞きながら、ひやっとした。
Kちゃん一家は、震災の前日に、お父さんの転勤ため
兵庫県芦屋市の家を後にし、他県に引っ越したのだという。
芦屋市といえば、とても被害の大きかった地域である。
おばあちゃんは、引っ越さないのだけれど、Kちゃんが赤ちゃんだったため
引っ越しの手伝いをするため、家族に同行した。
引っ越し先でも、明け方に揺れを感じ、テレビをつけたところ
高速道路が崩れ落ち、民家の屋根を押しつぶしている光景を映し出した。
つぶされた、その建物は、Kちゃんが前々日に寝た部屋と家。
おばあちゃんが、これからも暮らしていくはずの場所だった。
よかった・・・。
奇跡のような話だと思った。
もしも、引っ越しがもう一日遅かったら、一家はどうなっていたことか。
Kちゃん、無事でよかった。と思った、そのKちゃんは
この数年後、病気で亡くなっている。
だから、私は、お母さんと出会っており、こうして話をしているのだ。
よく、こういう不思議な感覚に、遭遇する。
たいてい私が話す相手のお子さんは、すでにこの世に存在せず、
生きていた頃の話を、聞く。
危険なシーンでは、あぶない!と緊迫したり、
あーよかった・・・ と安堵したりする。
実際は、もういない子に対しても、無事を考え続ける親の気持ちが
話を聞くこちらの気持ちにも、反映するのだろう。
話はどれも、まるで昨日のことのように、生き生きと、みずみずしい。
悲しい場面では、お母さんの目から真珠のような涙がこぼれ落ち
嬉しいこと、楽しいこと、おもしろいことは、
身振り手振りで、再現してくれたり、
大笑いしながら、教えてくれたりする。
Kちゃんは、一旦は惨事を免れたものの、まったく別の事情で亡くなった。
なぜあの時でなく、今なのか。
なぜ災害でなく、病気だったのか。
と、親は考える。
Kちゃんにとっては、あと数年、生きる目的、あるいは役割が
あったのかもしれない。
それが何だったのか、考えても、明確な答えは見つからないのだけれど
考えることに、いのちの意味は、あるのだと思う。