ひんしゅくをかいそうな、きょうの空想(妄想)
2010/01/17 会のなかには、3つ掲示板があり、
その一つに、書き込んだあと、まだまだ空想は広がったので
つづきをこっちで。
きょう、ちらっと見た、テレビのドラマで、
子どものできない女性が、産婦人科の新生児室から
女の赤ちゃんを連れ去るシーンがあった。
(これ以前のストーリーは、知らない)
私は、どきどきしながら、
うまく逃げるのよ。
早く、早く。
大事に育てるのよ。
と応援しながら
犯罪者に肩入れしてる自分に、はたと気づく。
おそらく、この番組を見ている子どもの遺族がいたら
子どもを連れ去るなんて、なんてことを!
奪われた親はどれほど悲しむか。
ぜったいにだめ、やめなさい!
って怒りながら見ているんじゃないかなあ・・・
じゃあ、なぜ、私は、「うまく逃げるのよ」と応援したのか?
ぜんぜん、わからない。
ただ、条件付きではある。
大事に育てること。これは絶対条件。
でも、大事に育てようが、犯罪。いいわけがない。
自分のなかの、よくわからない自分に出会うことが、たまにある。
なんで、ああ考えたのかなあ・・・と
さらに考えながら、ぎくっとした。
もしかして、こういうこと?
難なく子どもを産み、すくすく育ち、大きくなっていくと
そういう幸せは、きっと当たり前のものとなる。
一度さらわれて、戻ってきてくれるほうが、ありがたみが沸くだろう。
みたいな、やすやすと幸せにさせたくない抵抗心からだろうか。
いや、こういうのも、あるかもしれない。
子どもがいなくなり、もう戻ってこないのかと思っていたら、見つかった!
というのは、私があこがれ続けたこと。
眠る前、あるいは目が覚めたとき、何度考えたことか知れないので、
とっさにこれを描いたのだろうか?
んん・・・ いくら、あれこれ、考えても、分からない。
どうしても子どもがほしい人には、育てさせてあげたいなー、
という妙な同情心が自分にはある、ということなんだろう。
つまり、やっぱり1番目なのかな。
えっ!あの犯罪者は、私なのだろうか?
それにしても、私の空想は、留まるところを知らないので
いつも妄想のようになっていく。