憧れの小児病棟プレイルーム。オカンだけでもデビューだ〜
2010/01/27 「小さないのち」のつどいは、ほんとうに、よく話を聴いてくれる。
もともと、「人の話は、最後まで、さえぎることなく、聴きましょう」と、
「どんな話も、反論と、否定だけは、しなようにしましょう」とを
約束事として、行ってきた。
最近は、初参加の人がいなければ、
この約束事は、もう再確認し合わなくとも、
誰も、決してやぶることがない。スバラシイ!
で、最近は、私のこと(近況や、ぐちや、泣き言や、恥のたぐい)を
なんでも、かんでも、聴いてもらっているようなものだ。アリガトウ!
話すほどに、聴いていただくほどに、私は私に出会っていく。
先日の大阪のつどいでも、自分の再発見が、あった。
この日は、初参加の方がなく、皆さんそれぞれに、まず近況を語られた。
私は、最近あったうれしいこと、そして楽しみにしていることを、聴いてもらった。
それは、紙芝居との出会いと、そのきっかけについて。
あゆみは、救急で搬送され、そのまま亡くなってしまったため
私は、小児病棟というものに、ミョーな憧れをもっている。
正確には、小児病棟のプレイルームに。
そこは、入院中の子どもたちが遊んだり、楽しいイベントが行われる部屋。
かねてより、親しくさせていただいている、京大病院小児病棟のボランティア活動に
自分も参加したくて、仕方なく、
だからといって、私に、小児病棟で役に立つような得意技もなく、
ふつふつと、何年も過ごしていたのだが、
あ、紙芝居だ!と思いたち、只今シュギョー中ではあるが、
いよいよ、京大病院のプレイルームに、デビューさせていただくこととなった。
その感激を、つどいで話したところ、
じっと耳を傾けてくれていたKさんの表情が、どうも不可思議・・・
Kさんいわく、話が意外だったのだそうだ。
Kさんのお子さんは、長く入院されたのち、亡くなった。
Kさんにとって、病棟から外の社会に出て行くことが、目標だったことから、
病棟に憧れをもっている私の話は、意外だっただろう。
私も、この日まで、よく分っていなかった。
なぜ、私は、プレイルームに行けるようになることが、夢だったのか・・・
そして、繋がった!
あゆみを連れて、プレイルームに行きたかったのだ。
そこで、楽しむあゆみの表情を、見たかったのだ。
あゆみは、入院中、脳死状態に入るのが、早かったので、
私たち家族は、集中治療室か、個室しか、知らない。
病棟に、どんな部屋があり、どんな機能を持っているのかなど、知らなかった。
私たちに流れていた時間は、死を待つ時間だったのだ。
そんな私たちのところへ、手作りの、うさぎのお面を持った人がやってきた。
その日、プレイルームでは、ボランティアによる楽しいイベントが繰り広げられていた模様。
プレイルームに出ていくことのできない、重症の子どもには、
病室まで、プレゼントを届けてくれたのだった。
その方は、あゆみのベッドの柵に、うさぎのお面を掛けてくれた。
参加していたなら、頭にかぶせてくれたものだ。
私は、有り難く受け取ったものの、やりきれなくなった。
気持ちは嬉しい。いらないなんて、思わない。
でも、それ以上に、つらい・・・。つらすぎた。
そう。だからプレイルーム。
元気に退院することは、夢のまた夢。
まずは、プレイルームに登場していけるくらい回復することが、夢で、
その次に、家に、社会に、戻っていくことが、夢だったのだ。
Kさんのお陰で、あのときの、うさぎのお面のことを、思い出せた。
あゆみにまつわることなら、どんなことでも、記憶が戻ってくれたら嬉しい。
子どもの思い出は、いいことも、つらいことも、すべてが宝物。
もっとほかにないか、考えてしまう。
気づかぬうちに、抜け落ちそうになっていたなら、掬い上げたい。