縁あれば、いつか必ず、人は出会うのだと思った。
2010/02/09 こんなことが、あるのだろうか?あるんだ!と思った。
話すと長いはなし。
先日、最近お子さんをなくされたご遺族のお宅を訪問した。
偶然にも、その日は、
ずっと前になくなったとお聞きしている、上のお子さんの、
十三回忌当日なのだと知らされ
私は、上のお子さんともご縁があるようで、心なごむ。
しかも、道中で、あゆみと病院が一緒だったと知る。
仏間に通していただき、祭壇を見ると、
小さな子どもの遺影が2つ。
1つは、最近なくなったお子さん。
もう1つは、あゆみよりほんの少し大きな女の子で
まるであゆみと入れ替わっただけのような光景。
着ているもの(病院から患者が全員貸し出される着衣)も
ネームプレート(ベッドの柵に吊り下げあるピンク色のぞうさん)も
家にあるあゆみの写真、そっくりそのままだった。
ご位牌の日にちを見て、あーーーっ、つながった。
上のお子さんが息を引き取り、病院を後にしたのと
あゆみが重症で搬送されたのは、ほぼ同時刻。
1時間だけ、重なっていた模様。
つまり私たち家族は、
かたや看取ったばかりで、かたや瀕死の状態、という、
極限状況のとき、すぐ近くにいたのだ。
ということは・・・!
私、思わず、興奮気味に、お母さんに、にじり寄る。
(お母さん、思わず後ずさり・・・)
(私は、頭グルグルになり、シドロモドロ、何言ってるのか分らない)
だって、このことは、
医療関係の講演では、数えきれず語り続けてきた話。
でも、ずっと独りよがりだった。
落ち着いて、頭を整理し、そして尋ねた。
「もし、一人目のお子さんをなくされたあと、病院の主治医から
同じ病院で子どもをなくした母親に、連絡先を教えてもいいですか?
と尋ねられたら、OKしていたと思いますか?」
お母さん、迷わず「はい」と言ってくれた。
うれしかった。
会ってくれてたんだと、知っただけで。
あゆみを失った直後、主治医を訪ね、涙ながらに頼んだが
「あゆみちゃんが亡くなる少し前にも、亡くされた方はいますが
でも紹介は・・・ 無理ですね、すみません」だった。
断られるか、どうか、尋ねるだけでも、してほしかった
という思いは、やはりあるが
そういう感情も風化させるほど、時間が流れたのを感じる。
それに、あそこで出会っていたら、この会は作っていないだろう。
二人お子さんを失われたのちに、
12年もかけて、ようやく巡ってきた出会い。
しかも、今度は相手のほうから。
人の縁というのは、
あれば必ず、いつか繋がるのだと思った。
次は、あゆみの十三回忌に、来てくださると言う。