体験のちがい、年齢の差も超えて、励まされた
2010/03/08 リビングライブラリーという
なにか特徴のある人が、本になる活動に協力した。
私は、自身も当事者であり「子どもの遺族会」を運営してきた人
という位置づけで、本になった。
借り手に、体験談を話したり、いろんな質問にお答えしたり
逆に、深い身の上話を聴かせていただいたり、楽しかった。
あなたのほうが、ずっと分厚い本ですわ、と思ったりもした。
そしてぜんぶ終わったとき
声をかけてくれた青年たちに、私はとても心を引かれた。
「ひきこもり」の会のスタッフで、元ひきこもり当事者、とのこと。
わけあって、ひきこもる生活を経験されたのだと思うが
第一印象は、え?あなたが?だった。
一人はすらりと長身、もうお一人は中肉中背
どちらも、イケメンなのだ。
表情には、優しさがにじみ出ている。
引きこもりの場合、「元当事者」としか、出会わないわけだから
実情はわからないのだけれど、
多くの場合、どの時期からか、振り子の振り幅が変わる
というような経路をたどっていたのではないだろうか?
振り子、そのものが変わるのではなく。
へー、じゃあ、外因がほとんどなんですよね?
と尋ねると、
でも、何かのせいにばかりしても・・・
という言葉に、はっとした。
何かのせいにばかりしながら、「社会生活」を営んでいる人
一杯いる・・・。(私も、か?)
これに続く話で、自分が共有する特性を見た。
「じゃあ、再び外の世界とつながっていくことは、
別の自分に生まれ変わることでも、過去の自分を切り離すことでも
ないわけですか?」と尋ねてみたのだ。すると、
返ってきたのは、私自身、いつかどこかで喋った言葉に思えた。
「一番つらかった頃の自分を、捨て去ろうとは思わない。
むしろ、もち続けたいと思っている。
その自分の上に、いまの自分が成り立っている。」
というようなことを、おっしゃった。
私は、涙が出るほど感激した。共鳴したのだ。
私たち、子どもを失った親たちは
その後のつらさの元となる、「こども」にまつわる記憶を
つらかろうが、苦しかろうが、自分から切り離したり、しない。
取り込んだうえで、生き方を模索する。
どんな自分も、まぎれもない、自分。
少々厄介な部分も、追い払ったりせず、
いたわってやりたい気持ちに、またなれた。