泣くことで守られること

2011/05/03

子どもさんの命が、大変な状況にある病室を訪ねている。

こういう状況に追い込まれると、親は、
自分の、何がいけなかったのだろう。
自分の行いの、どこかが、大自然の摂理に反したから
わが子がこのような目にあっているのではないか、と。
ずっと過去をさかのぼってまで考える。
私もそうだった。

けれども、この子の両親ほど、知れば知るほど、
子どもを心から愛し大切にし、
家族を愛し大切にし、
仕事も、生活も、人付き合いも
心をこめた暮らしをしてきた人は、いないのではないか
と思えるほど、できた人物なのだ。

当たり前のことであるが、
子どもの病気の発症は
親の落ち度によるものでないことや、
そんな、因果関係のもとにないことが
改めてよくわかる一方で、不条理感が募る。

とにかく、親はつらい。
何とかしてわが子を救いたい。
看病をし、医療スタッフにお願いをし、神に祈る以外に
できることが、ないことが、たまらなく苦しい。
そんな日々を、涙ながらに語ってくれる。

非の打ち所がないなか、為す術がなく
ややもすると、医療者や他者に、矛先が向きそうになる感情を抑え
じっと耐える、そんな姿を私は見つめながら
思えた。

もしかして、涙って、そのためにあるのかもしれない。
泣くことは、人を直に傷付けたりはしない。
抑えきれない情動を、
人や、自分に、刃物のように突き立てないよう
泣くという行為が、緩衝剤になってくれるような
そんな気がした。