わかり得ないという自覚は大事

2019/11/01

無関係な女性を、あの「ガラケー女」と思い込み

デマをSNSで「拡散希望」した議員が、提訴された記事を見て

私、自分もわかってないな、と思った。

 

その議員には、批判や無言電話が殺到したという。

それで、被害を受けた女性の気持ちを「身に染みて感じた」

と記者会見で言ったそうで、私、このことが女性に一番届くのではないか

と思ったが、それは大きな間違いだった。

 

「過失があって非難が殺到するのと、いわれもない中傷をされた私とは、

全く質が違う」と、収まるどころか、さらに怒らせてしまったのだ。

女性の言い分を見て、初めて、なるほど、と思った。

 

そうだなあ。わかってなかったなあ。

遺族でもよく話題になるけれど

簡単に「気持ち、わかる」と言う人は、

違うことが起きても、同じと思い込み、すぐわかったことになっている。

 

子どもを亡くした人に、

自分も親を亡くしたばかりだから、よくわかります

と90才の親を亡くした人が言ったら、おかしい。

 

親だとおかしいとか、90才だとおかしい、ではなく

「だからわかる」と簡単に言うところが、おかしい。

子どもを亡くした人の気持ちも、親を亡くした人の気持ちも

名誉を傷つけられた人の気持ちも。