まず話の中身をわかってから
2019/11/03一昨日、簡単に「わかる」はおかしい、と書いて
共感のメールをくださった方がいて、有り難かった。
「わかる」と言ってはいけないのではなく、
簡単に、わかったことにする、のがハテナ?ということで、
当事者同士であっても「わかり得ない思い」は大事にする。
体験のない人は、まず「わかる」に2通りあることを考えてほしい。
先日書いたのは、2つ目の「わかる」のことで、
こっちはハードルが高く、簡単にはいかない。
なので、1つ目の「わかる」に取り組んでほしい。
1つめの「わかる」は、話がわかる。
何が、どのように、起きたか、だったり
何が、どのように、つらい、という話なのか?だ。
このことが「わかる」だけでも、すごいことで、
ものすごく有り難い。
その上で、2つ目のわかる、が存在する。
しかし、この2つ目「気持ちがわかる」は、
何が・どう・つらい、のつらさの質が、実感をもってわかるなど
夫婦であっても、親子であっても、
わかり得ないほうが多いくらいではないだろうか。
わかり得ないまま、互いのつらさを尊重しあっているのが現状だ。
だから、「お話しわかります」で十分だから
話がわかるところまで、根気よく聴いてほしい。