「過去のつらい」がカッチーン
2019/12/06きょうは、「過去のつらい」を思い出そう、と思わなくても
勝手に思い出した。
仕事帰りの電車、くたくたで、席1つ空いてて、ヤッホ。
そしたら、座れなかった4~5才の女の子が近くにいて
「座るー」と言っている。
私、ちら、ちら、と左右見て、
替わるとしたら、私じゃないな、と判断し、居座る。
その子が「座る」と言っているのは、床になのだった。
あ、端っこだし、いいんじゃない?と思った。
小さいタオルとか、持ってない?
紙でもいいやん。とか、勝手に思う。
そしたら、お母さん「だめ!」と言う。
ここで、「過去」が蘇った。
私には、鬼のようにコワイ「神戸のおばちゃん」がいた。
父の姉で、職業は助産師。
祖父が倒れたとき、この叔母が、私を神戸に連れて行ってしまった。
といういきさつは、当時の私は理解できず
夜、「帰る~帰る~」と泣いた記憶は鮮明にある。
翌日、叔母は、私を遊びに連れて出たように思うが、その帰り、
電車で席がなく、立ったまま、眠くて眠くてたまらなくなった。
子どもにとって、眠いのを我慢するのは、お腹すいたのを我慢するより、きつい。
その時、寝たら「だめ!」と言われた、あの声が蘇ったのだ。
こんなところで置き去りにされたら、コマル・・・
と恐怖を覚えた私は3才で、一番古い記憶。
あれ、ほぼ誘拐+虐待だぞーーー
母によると、祖父が落ち着きしだい、迎えに駆けつけたそうだが
そのへん、ぜんぜん覚えていない。
私にとっては、母もコワイ人なので、
まあ、神戸のおばちゃんと似たり寄ったりで。
斜め前では
「座りたいー」「だめ!」が続く。
お行儀悪いとか、大事なことだろうけれど
でも、もうこの時間なんだし、きょうだけ大目に見てあげても
ねえ、お母さん・・・
過去と現在を行き来しながら
キビシイ母の元に育つ娘のつらさ、「わかるでー」
と心のなかで語りかけていた。
そして、ついに、カッチーン
だめ、だめ、ってこんな時間まで、こんな小さい子を連れ回してた
あんたのほうが、どうかしてるで!親として ←言わなかったよ
コレだ!
「過去のつらい」を自覚なく持ったままいることの弊害。