自分の世話は自分でしたいけれど
2020/01/17今年初めて会った人に、
年末年始、どうでしたか?と聞かれ
「一応、わが家は喪中で」と言ったら
とても驚かれた。
「姑さんですか。それは、お寂しくなられたでしょう」と言われ
寂しい?あー、ちょっと、あると思った。
このところ思い出される言葉が。
「あんたの世話にはならないから。」
気を遣って、ではなく
本当に世話になりたくなかったのだろう。
でも、1回こけたら予定は変わり
1回こけると、2回目があり
2回こけたら、もう動けなくなってしまう。
少し先を、まったく予測しなかったのだろうか。
なぜ、ああいうこと、言いきったのだろう。
言いたくなる年齢を迎えるのだろうか。
私自身も、自分の世話は自分でしたい思いが、強くある。
でも、きっぱりと言うもんじゃないと思い、
ところが、言うようになってしまうのだろうか?
そう思うと、不安をこえて、怖い。
「寂しい」は、この怖さと、入り交ざっている気がした。