95才で体が不自由な一人暮らし
2020/01/23姑の親友を訪ねた日 の続き。
十三で、昔から人気のケーキ屋さん「ホルン」で
いちごショートを買ってから、おばさんを訪ねた。
インターフォンを押しても、出てこない。
もしや・・・ と胸騒ぎがしたとき
「どなた~」とか細い声。
「坂下です」は?、「さかした!」へ?、「さ!か!し!た!」あーあ。
「あーあ」からも、なかなか玄関は開かず
ようやく現れたおばさんの姿に、息をのんだ。
客間だったリビングには、介護ベッドが置かれ
部屋の中は、以前と様変わりしていた。
私が気になったのは、あれから関係修復はあったのか?
娘さんだけでも、来てくれるようになったのか?だ。
自慢の娘さんだったはずの、娘の名は、一度も出ない。
語られない話は、こちらから引き出さないようにしたが
ヘルパーさんが、週に何回か来てくれるだけ、らしい。
ホルンのケーキ食べましょう、と
持って行ったお皿に乗せて渡したが
おしゃべりが忙しく、なかなか食べてもらえず、そのうち
手元が震え、ケーキは転がり落ちてしまった。
おばさん、すぐ拾って、またお皿に乗せた。
どうしよう・・・と困っていたら
私に、あなた食べなさいと言うので、さらに困ったが
落としたことを、忘れているようだ。
それからの会話で、明らかになっていった。
「お母さんのお葬式行けなくて、ごめんなさいね」
「いえいえ」
「もう何年になるかな?」
「先月なんです」
「えーーーーっ!」
このやりとりが、何度も繰り返された。
95才で、体が不自由で、認知のほうも、、、
この状況で、ひとり暮らせるのだろうか。
娘さん、何で来てあげないのだろう。
重い気持ちで考え込んでいると、
おばさんが、弾む声で1枚の年賀状を見せてくれた。
(また続く)