日記を書く一番の収穫

2020/06/14

「つどい」で、よく言うのだが

大切な子どものこと、かけがえのない思い出が、

一人で持っていると、どうしても減ってしまう。

減らすつもりなど毛頭なく、つらいことの一端でも貴重。

でも、減らしてしまうのが、人間の脳というもの。

 

ところが、一度人に話すと、大抵根付くのだ。

つまり、ただ脳に収めているところから、

記憶に刻むところまで行く。捉え直す、もある。

話しながら蘇ることもあり、そのことも刻みこめる。

 

つまり、つどいで言葉にするって、

知ってもらえて、うれしい。

分かってもらえて、救われる。

話したことにより、覚えていられる。

思わぬ発見もある。

 

さらに、

1回話すだけでもいいが、何回も話すとどうか?

実は、人は、同じことを同じようには話していない。

 

このことを、わかりやすく書いてくれている先生がいて

いま授業の準備で、そのページを開いている。

岩田泰夫氏が書かれた「セルフヘルプグループへの招待」

という本で、この先生には1回しかお会いしたことがないが

改めて、いい本だなあと読み返している。

 

「体験談は、日々変化します」という章で

過去に体験した事実を見る自分の変化によって

体験談は、日々新しくなり、変化します。

体験談は、私が成長するとともに、私の「目」が新しくなり、

過去の事実を見る目が変化し、体験は新しく塗り替えられ

体験談は変化します。私が変化し成長する限りにおいて

体験談は尽きることがありません。

ときどき、「もう私は体験を話し尽くした」といわれますが、

体験は、話し尽くされることはありません。もしも、

私の体験が話し尽くされ、体験談がなくなってしまった

としますと、それは、私の「目」が成長していないからです。

私が成長し回復していない証といえます。

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「つどい」に、何度でも来てくれると嬉しいし、

久しぶりに来てくれるのも、すごく嬉しいのは

このことを、私も体験者に感じているからだと思う。

 

9日に書いた「日記を書いている一番の目的」について

少し訂正が必要だ。

日の浅い人を念頭に、10年でも20年でも前のことを書く

としていたが、

10年、20年前のことというのは、出来事だけだ。

その出来事に関する感情や考えは、

ほとんど今の私なのだ。

 

そのときの、そのとおりの自分を書く、というのは

なかなか難しいこと。

「同じことばかり書いているけど」と思わなくてよく

また書いて、成長していけばいい。

回復していくと、もっといい。