お坊さんのお世話になっていた頃

2020/11/24

京都で、お坊さんたちが遺族支援の研修を行うようで

招いていただくことに。

 

私の話は、あゆみが亡くなった頃のことと、

住職さんによくしてもらったことを中心にまとめた。

 

お通夜も告別式も「こんなはずではなかった」

という気持ちで過ごし、

お坊さんとは目も合わせませんでした。

線香の匂いに頭がくらくらし、お経や、りんや、

さみしげな音楽、慰めてくれる人の言葉、

耳から入るすべてのものを閉ざしました。

手など合わせるものか!と怒りに震え、

実は、未だ娘の仏壇を買っていないのです。

 

と書きながら、

あの住職さんに、何でも許してもらっていた

「だいじょうぶ」と保証してもらっていたことに

改めて感謝が込み上げる。

 

住職さんは、何を言っても、どんな感情も、

そのまま受け取ってくれました。

わけのわからないようなことを尋ねても、

真剣に考えてくれました。

答えようのないことには、「そうですね」と、

そのまま受け止めてくれました。

「すみません勉強不足で」と言わせてしまったり、

私のほうも言葉が途絶えてしまうと、

そのままじっといてくれました。

あのような人に、私もなりたい。と思ったことが、

今の活動の原点であるように思います。

 

と、ここまで書いたとき

涙に震えていた。

思えば、人に当たったり、ぶつけるわけにいかない感情を

住職さんに、吸い取ってもらっていたように思う。

 

きょう読み上げるだけで、泣いてしまう

と思ったが、

泣いて聞こえにくくなるより

泣かずに話そう、と思った。

 

思わず泣けてくるときのほとんどは、

初めて言葉にするときだ。

そうか、考えたら、これまでの活動で、

お坊さんたちとの接点は、ほとんどなかったな。

亡くした人ほぼ全員が接する人なのに

不思議。