年越し以上に離れゆく感覚だった

2021/01/03

年が変わるのが、すごくいやだった

というメールをいただいた。

無理やり引き離されるようで。

だから、カレンダーだけでも2020年のものを

掛けたままにしている

って、ほんと、わかるー

 

ちゃんと一緒に、2021年の「いま」に

来てくれているよね、きっと。

 

私が、あゆみを置き去りにしたのではないか

ともっとも考え込んだのは

引っ越した後だった。

 

引っ越し荷物をぜんぶ出した後

からっぽになった部屋を回って

「行くよー 引っ越すよー」

って、泣きながら大声で言ってた。

 

それでも、付いて来れていなかったら、どうしよう

って不安に駆られたのは

結局、私は、感じられないからなんだ・・・

 

だったら、同じ家でずっと暮らしたほうが

あゆみが暮らした家なんだから、いるに違いない

と思えただろう。

 

悔やんでも、引っ越してみなければ

引っ越してから直面する感覚は、わからない。

何ごとも、そう。

 

分岐点に出くわしたとき、

どちらか一方にしか行けない。

行った道で経験することしか、わからない。

もう一方の道は、永久に未知。

 

でも、別の道を行ったほうが、つらさがマシ

というのは、あり得なかったようにも思う。

何かで変化する程度のつらさでは、ないのだから。

どこを、どう歩いても

大差なかったんじゃないだろうか?と

ずっと後になって思うようになった。

 

だから、自分が選んだ道を信じて

覚悟して歩くしか。