見知らぬ人を訪ねてまで話していた

2021/01/18

昨日、Zoomで「わかちあい」を行うなか

日の浅いうちの、たまらないつらさを、どう生き延びるか

について語らっていたとき

ぱっと記憶がもどって蘇った光景があった。

 

見ず知らずの人の家に

「私は、先日、子どもを亡くした者です」

と言いに行ったこと。

 

そのお宅は、買い物に行く道すがらにあり

1年ほど前に、お葬式をされているのを見た。

立て看板のお名前から、たぶん小さな女の子。

そのとき、あゆみは、まだ元気だった。

 

そして亡くなったとき、近所の人から

そのお子さんも、同じ病気だったはず、と聞いたので

私は持てる勇気を振り絞って、訪ねていく。

 

大きな古いお家で、庭も広く、足がすくんだが

インターフォンを鳴らした。

ここで、あっ、と気づく。

インターフォンで「子ども亡くしました」は言いづらい。

言うのは、会って言いたい。

 

困っていたら、門のところまで出てきてくれた。

このとき半分救われた。

そして、顔を見て言った。

お母さんの表情は一変し、

どうぞ!と家の中に入れてくれた。

こうして、たっぷり救われた。

 

訪ねたことを喜んでくれて

写真を見せてくれ、亡くなったいきさつを教えてくれた。

同じ年頃で、同じような経緯だった。

のちに私の家にも、お花をもって来てくださった。

 

あのとき、あるだけの勇気を使い切って

私の「勇気の袋」は、倍に膨らんだ気がする。

会いたいと思ったら、会いに行こう

と考えるようになったのも、あのお母さんのお陰。

 

門前払いになったら、ショックだが

今のところ、そういう目に合ったことがなく

会いたいと思うとき、相手もそう思ってくれている。

 

そして、それまでの私は、

とても限られた範囲で暮らしていたが

子どもを亡くした、という共通項だけを頼りに

誰とでも会うことができるようになり

住む世界を広げてくれたのも、あゆみ。