助けられるだけでなく助けになれるかも
2021/01/19見ず知らずの人を訪ねて行った日のつづき。
お母さんのお話を聴き、あゆみのことも話し
そのあと私が言ったのは、
「どうやって今日まで生きることができましたか?」
日の浅い私は、何を見ても、どう過ごしても
苦しいばかりで、その苦しみは増すばかりで
自分の先を行く人に尋ねてみたかった。
そしたら、お母さんは、おっしゃった。
「よくわからないんです・・・」
そうなのか。
そんな具合に1年近くも過ごしてこられたのだ。
まるでトンネルのなかを歩いているような感じか。
こうもおっしゃった。
「1日だと思う。1日だけ生きることを続けました。」
そのときは、あまりピンとこなかったのだが
この言葉は、核心を突いているいる、と
あとで思うようになった。
そして、もう一つ、思ったことは
子どもを亡くした場合には
先を行く人も、すごく先を行くわけではないこと。
だったら、私は、助けてもらう立場
というわけではなく、私も助けになれる立場かも。
お母さんは、私が訪ねたことを
ものすごく喜んでくださったし。
助ける人、助けられる人、ではなく
どちらも同じ重さの立場であって
助け助けられる関係、というのは
あれから20年以上経った今も
私の基盤にある考え方。