生きている子との絶対的なちがい

2021/02/17

ダイキと話していて、言い返せなかったのと

あー、私はとても小さい子を亡くした

と痛感した。

 

話の始まりは、子どもを亡くした親の気持ちのこと。

例えば、泣いている親に対し

「〇〇ちゃんが心配しますよ」といったもの言い

しないほうがいい理由わかる?と尋ねた。

 

「確証が得られないことだから?」と言ったので

それもあるし、そうであるからこそ

実の親を超える発言を、言い切るのはおかしい

と私が言ったら、

ダイキ「母親にもわからないことを、となるよね」

と言うから、よし、わかってる、と思った。

 

ところが、「でもね」と言う。

母親にわからないことを、言う必要があることも、と。

え???

 

母親は、みんな「うちの子、いい子なんです」と思ってる。

「いい子」でも、よくないことをすることはあって

あくまで「学校では」と前置きをしたうえで、

「こういうことを、しています」と親に知らせて

わかってもらわないといけない場合があるねん・・・と。

 

それは、親、つらい・・・

私は、あゆみに、そういう経験をしたことがない。

私の視界にいつもいて、あゆみにとって私がすべて

私にとっても。だから、

私よりも、あの子のことを「わかる」人はいない

みたいな自負があった。

 

小さかったなーと思った。

生きている子の親は大変だなあ、とも思った。

でも、ぐるり回って行きつくところは、

つらくても、いろんな経験したかったなあ。

反省すること、謝ること、叱ること、弁償すること、等々

 

んー、でも、やっぱり、それでも

亡くなったなら

子どもに関して、親を超える存在は、

この世にはいないはず。

この世には。