話して拒絶されるととても悲しい

2021/11/10

講演など、数えきれずあゆみのことを人前で話してきたが

あの日は、何とも言えない気持ちになった。

私のような話は、批判的なことを言われることは

めったにない。

あの日言われたことは

「きょうは本当は来たくなかった」という言葉。

 

なぜかは、分かる。

子どもが亡くなる話だから。

それを言ったのは、その大学の先生。

 

そのあと授業が始まり、話していると

熱心に聴いている人がいた。

ついその人の顔を見て話してしまう。

さっき言われた言葉が、いやだったから。

そしたら、その人

スマホを取り出して、、、、

それからずっと、最後まで

スマホを見ていた。

 

もちろん、ずっと聴いてくれている人もいるので

もう、スマホの人は見ないようにした。

話し終わって、質問を受け付けたとき

スマホの人が質問の手を挙げたから、びっくりした。

質問の初めに言ったのも

「こういうお話は苦手なんですけど」だった。

 

思っても、言わなければいいのに。

 

人をつらくさせるために話しているわけではない。

事実を話しているだけ。

授業だから、理論に沿って進めるので

感情面だけ捉えるのも、聴き方が違うと思う。

何が起き、その時どう対応するか、を考えるのが

専門教育の場であるはずだ。

 

否定や批判というのは、向けられるとつらいが

拒絶されることも、つらい。

 

きっと亡くなり方が、もっと痛ましい遺族は

もっと露骨に言われているんじゃないか、と思い

犯罪被害の活動をしているご遺族に尋ねたら

やはりそうだった。

「可哀そうで聴いてられない」と言われると。

 

可哀そうと言われるのも、どう感じるのもいいけれど

「話、聴いてよ、と思う」って。

 

話しを聞きたくない人の気持ちが

私にはわからないから、

悲しくなるだけ。

 

きょうも、お子さんを突然亡くされたお母さんのお話し

聴き入って、

時間が過ぎるのを忘れた。