「おはよう」を言ってたら死ななかった

2021/11/09

ドライブレコーダーは、遺品になることを知ってから

YouTubeで関連動画がよく出てくるようになった。

きょうはドライブレコーダーが事故を捉えているものを見て

事故って、こんなに瞬時に起きるんだ、と実感する。

 

そして、一人の女性の話を思い返した。

思春期のころ、お父さんと話さなくなっていた。

そういうこと、誰にでも、私にもあった。

朝、起きたとき、お父さんは出勤するところだった。

目にしたのは後ろ姿だけ。

このあと交通事故で亡くなられた。

 

「なんで、あのとき、おはようと、行ってらっしゃいを

私は言わなかったんだ、ってずっと後悔してる」と

後悔よりもずっと強い、自責のように話された。

 

「ずっと」とは、20年に及んでいる。

お父さんの最期の日になるなら、会話すればよかった

という後悔だけではない。

 

「お父さん、おはよう」と言えば、お父さんは

きっと立ち止まって、振り返って、

「おはよう」と返していただろう。

「行ってらっしゃい」と言えば、お父さんも

「行ってくるね」と返していただろうし、

普段もの言わない娘が声かけたなら、きっとお父さんは

何か、もっと、言ったに違いない。

そしたら

あの事故に巻き込まれなかった

お父さんは死ななかった

お父さんは生きられた

 

これが彼女が、ずっと考えていること。

私は、思い込みではないと思った。

「そんなふうに自分を責めないほうがいい」

なんて軽い言葉、口から出なかった。

 

実際、交通事故は

瞬時に起きている。

数秒の違いで生死を分けている。

玄関で、一瞬立ち止まるだけでも

ひと言、ふた言、言葉が行き交うだけで

「タイミング」は変わると言える。

だから、つらい。

 

客観的に見れば

出かけるときに、声かけて立ち止まらせたから

そのあと事故に巻き込まれてしまった

ということも起こり得る。

けれども人が体験することは、ただ1つ。

起きたことに対し、長く苦しむのが遺族であり

親と子の関係なのだと思う。