子どもを病気で亡くしたと言えなかった

2022/03/04

昨日書いた、近所の家の息子さんは

壮絶な自死をされている。

私は、まだ子どもだったが

近所の人同士が話しているのを、耳にして

知ってよかったのだろうか?

いけなかったのだろうか?

判断できなかった。

 

おばさん自身の真意はわからないが

家の中で過ごすようになったことから

いろいろなことを思ったが

一番、私が思っていたことは

「誰にもわかるわけない」

という気持ちじゃないか、ということだった。

 

もう1つは、

それでも、この家を離れないことが

すごいことに思えた。

息子さんへの思いの深さ。

そのことを証明するように

あえて、つらい生き方を、自ら強いるようで。

 

あなたたちと、私は、違う

という頑なな考えかたは、あったかもしれない。

だから、

あゆみが亡くなったあとも

私からの距離は、そのまま保っていた。

 

実家に戻って暮らすようになったのは

あゆみが亡くなって、何年も経ってからで

ある朝、

ゴミ捨てに行ったとき、

朝の挨拶をしたら

あの一言を、かけてくれた。

 

「わかる」という言葉

遺族は、拒絶することがある。

それは、言葉が浅い場合や、安易な場合。

 

あのときの私は

わかってもらえて嬉しい

というだけでなく

「べつもの」とされなかったことが

嬉しかった。