ひと言では足りない気がするから?

2022/03/05

また続きなのだけど、

「わかるよ」

という言葉が拒絶される場合があるのは、

子どもを亡くした親に限ったことでなく

最愛の人を亡くした人からも耳にする。

 

言葉が、というより、気持ちや理解が

浅かったり安易だったりしたら

そうなるように思うが、

じゃあ逆に

「わかる」必要って、あるのだろうか??

 

死別に限らず、

実体験のないことを「わかる」のは

なかなか難しいことだと思う。

 

私、ヘレン・ケラーの本を何回読んでも

目が見えない人や耳が聞こえない人の感覚は

分からないもの。

 

で、近所のおばさんがかけてくれた言葉は、

「つらいね、わかるよ」

だったが、

私には、この言葉が嬉しかった。

この人から貰う言葉として。

 

でも、「つらいね」のほうは、

誰がかけても

いい言葉なんじゃないだろうか。

 

すごくつらそうにしているから

つらいだろう、と感じた。

これは事実だし。

 

たぶん、気を遣いすぎなんじゃないかな?

すごくつらそうな相手に

「つらいね」

だけだと、足りていない気がして

なんか付け加えてしまう。

 

そうして

「つらいね、わかるよ」

が出来たり

「つらいね、私だったら生きていけない」

も出来たりして

こんなこと言われた!

ってとこまで及んだりする。

 

打つ手はあるのだろうか?

 

おそらく

いいことを言おうと思わないこと、かな。

そして

言葉で楽にさせたいと、思わないことかな。