一番難しいのは亡くなった人の気持ち

2022/03/11

「先生を消す方程式」というドラマを、再放送で知った。

田中圭が教師役(義経先生)なのだけど

とても怖いストーリー。

見るのやめよかな、と思ったところで

考えさせられる台詞があった。

 

義経先生の婚約者も教師だったが、

何者かに学校の階段から落とされて、昏睡状態が続いている。

このことを、次のように語った。

 

人生に起こることには、すべて意味がある

という人もいる。

シズカがあんなことになって、俺は思ったよ。

どんな意味があるんだ!って。

だけど、あれから時間が経って、いま思う。

意味があるかどうかは、遺された人しだいで、

意味があったんだ、と

意味づけてあげることが大事なんだって。

 

ここまで、主語は、「自分」と思って聞いていた。

つまり、「起こること」とは、大切な人を失うこと。

そして、「意味」については

その人と出会えたことや

その人と、限られた時間を共に過ごせたこと

のようにイメージした。

 

でも、そうではなかった。

このあとの台詞

聞き違いかな?と聴き直したもの。

 

お前が、シズカを愛したこと

その意味を見出すために

俺は生きているんだ。

 

「俺がシズカを愛したこと、その意味を見出すために」

だと最初思った。

私たちと同じだーって。

あゆみが私の子として生まれてくれた、その意味を

見出すために、私は生きているから。

 

けれども彼は、「お前」を主語にしている。

「お前」の歪んだ愛のために、恋人は命を狙われたからだ。

ここで気づいた。

愛する人の死が、被害であった場合

犯罪行為にまで意味を見出す

努力を重ねている遺族がいるのか・・・

 

私たちも

死因となった病気そのものには

意味を見出すことが難しい。

 

もう1つ気になるのが

意味を見出して「あげる」ことが大事

と言っているのは、被害に遭った本人のために

ということになる。

本人は、被害や死因に、意味を見出して貰いたいだろうか?

 

一番わからなくて、難しいのは

昏睡に陥った患者さんや、亡くなった人の気持ち。