絶対にえらそうになるはずがない活動

2022/05/16

昨日「つどい」で、初めて参加された方から

あとで、「失礼なこと言いました」と言われたが

実は、私には一番うれしい言葉だった。

 

「代表って、もっとえらそうな人かと思っていたら

腰が低いんですね」

 

こういう活動で、一番大事なのは

謙虚さ

だと思う、ということは、よく言っている。

 

理由は、はっきりしていて

仮に、どんなに能力が高い運営者がいても

ぜったいに届かないから。

参加されている方々が、本当に望んでいることに。

 

みんなが望んでいることは

もう一度会えること。わが子に。

 

だから、活動として非力さを自覚したうえで

きょう必要なこと、自分にできることを

誠実にすることに尽きる。

 

これはどの遺族会でも共通の精神だと思うが

私には、個人的な体験談がある。

あゆみを亡くし、まだ日の浅い頃

ある遺族会に行った。

 

もうこの会はないし、代表者も姿を消したが、

私は、その人が、えらそうだと感じた。

最初は、偉いのだ、と思っていた。

こういう活動を担っている人を。

でも、違った。

 

その代表者は、

声が大きい人に傾くだけの人だった。

つらさの主張が強い人を、尊重する。

そのための采配を振る。(進行に従わせる)

運営しやすくなるから。

 

昨日の講演でも話されたが

泣いて吐露している人だけがつらいのではない。

感情が見えにくい人も

言葉にできない人も、相当つらく苦しい。

 

みんな同じなのだ。

だから、誰に対しても、同じように行動し

できれば、いつも同じように、いたい。

 

このことが、

とてもハードルの高いことだから

えらそうになんか、

なれるはずがない。

 

日の浅いうちの落胆は

より強く感じられることを、身をもって知った私。