わが子と重ねることがなくなり楽になった

2022/05/29

宝塚からの帰り道、従妹の家に誘ってもらった。

家では、おばちゃん(従妹の母)が待っていた。

 

おばちゃんの話は、いくらでも続き

亡くなったおじちゃんのこと

亡くなった私の父のこと

亡くなった私の母のこと。

亡くなった身内に、こんなに詳しい人が

元気なうちに、いっぱい話を聴いておかないと。

 

今回、急に距離が縮まったような気がし、

言い方を変えると

いつの間にか、距離があいていたのだと思う。

 

従妹の結婚式に、私は行っていない。

入院中だったから。

治療がうまくいき、退院することができたが

治療がうまくいった、ということは

子どもが産めなくなったことでもあった。

 

その頃、晩婚だった従妹に

高齢出産で、女の子が誕生した。

その子に、先日進学祝いを持って行ったのだけど

もしかして、私は、ずっと

大きくなるのを待っていたのかもしれない。

 

親戚だから、普通に会っていたし

普通に過ごしていた。

でも、あの「普通」は、だいぶん装っていた

と、今になって感じる。

 

一緒にお出かけしたのは、初めてで

大学生になった女の子を

あゆみと重ねることは、まったくなかった。

もっと早かったら、

違っていた気がする。

 

親戚の行事で会ったり

お年玉をあげたり

そんなことは簡単。

でも、丸1日を共に過ごし

楽しいことを一緒にし、

同じタイミングで手を叩いたり、

大きな声だして笑ったりすることに

無理がない、というのは

ようやく迎えることができた時期に思える。

 

年をとるのも、悪くない。

年を取りながら、もっと丸くなり、さらに図太くもなり

これからもっともっと

楽に生きられるようになりたい。