遺族ってそれぞれで皆同じではない

2022/05/31

先月の小児科学会の、アーカイブ配信が今日までだったので

さっき、ゆっくり見てみた。

最終日の、夜まで見なかったのは

なんとなく、見れなかったから。

 

こういう舞台は

最初は持ち時間が与えられ、原稿を準備できるが

そのあとは、

座長(司会者)に、急に投げかけられたり

会場からの質問に応えたり

その場で、瞬時に発言するため

言葉をまとめるのが難しい。

 

それを見直すには、覚悟がいった。

やっぱり、ひどい。

ズレたことも言ってる。

 

で最後に、ひと言

小児科に希望を持たせてくれるコメントを

と振られたので

これ瞬時に考えるの、大変だった。

 

子どもが命を託した人というのは

家族にとっても、ずっと特別な人です。

その人が、

わが子のことを、忘れず覚えていてくれることは、

わが子は、その人のなかで、ずっと生きていて

さらに、覚えてくれているだけでなく、

わが子を通しての経験を、日々、生かしてくれるなら

わが子は、もう亡くなっていても

この社会のなかで生きている

と考えることもできます。

 

そう言った、この言葉

本当に私は思っていることだろうか・・・

勿論うそは言わない。

だから、今の私は、こう考える

ということだ。

 

でも、

日の浅い人は、そうではないだろうし

親がみんな、同じ考えであるはずがないし

そこに、ちょっとした重圧感のようなものがあり

代表で出て行ったあと

だいたい、いつも

ずどーん、て感じ。