ほぼ枝ですが本当は小鳥です。

2022/07/13

先日、インタビューを受けて、

あゆみの誕生~別れ~小さないのち創設~その活動~現在

までを話したあと、

こんなことを聞かれた。

 

あゆみちゃんが生まれたとき、どんなに嬉しかったか

よくわかったのですが、

そのあゆみちゃんは亡くなり、会を創って

そこで同じ立場の人と出会うときが

あゆみちゃんとの出会いに似ているのでしょうか?

 

「え?それはぜんぜん違います」

と答えた。

もちろん、お子さんを亡くされた方と出会うとき

私は出会いに感謝するし、出会えてよかったと

心から思う。

 

でも、みなさん、よその(家族の)人で

家族の中にいたり、家庭に戻っていったり、

のちに、よそへ行ったりする。

それを喜び、見送ったりするのが私。

 

ぱっと見つけた言葉だけれど

「だから私は、とまり木のようなもの」

羽を休めてもらうためにいる。

飛び立つときは、手を振って見送る。

 

長くとまってくれるのも嬉しいし

時々とまりに来てくれるのも嬉しいから

ずっと、私はいる。

 

そのとき話したのは、ここまで。

あとから一人で考えたのは

でも、私も、

本当は、枝ではなくて小鳥。

私も羽を休める止まり木はほしくなる。

 

枝が良ければ、一人でとまるのもいい。

たまに

親しくしてくれている小鳥さんと

並んでとまっていられるときが

さらにいい。