父に「死んで楽になったほうが」と思った

2022/08/05

死生観とか、死にたいか?死にたくないか?

とか書いていたら

ぜんぜん違うことを思い出した。

 

私は、父の晩年、共に暮らしながら

もう生きなくてもいいんじゃないか

つまり

死んで楽になったほうが

と思っていた。

 

父は、体がものすごく痛かった。

あちこちの病院に行ったが、治療法が見つからず

毎日痛みに耐えて、

でも「死にたい」と言ったことはない。

そういうこと、娘には言えず、耐えていた。

 

睡眠もあまり取れなくなり

おそらく、そのせいで、弱い心臓がさらに弱り

入浴中に心臓発作を起こしたのだろう。

私が風呂場を見に行ったとき

腰を抜かすほど驚いたが、そのとき思ったことは

このまま楽になれたら

だった。

 

すぐに浴槽の栓を抜いたが、

同時に思ったのも

意識を戻したらどうしよう、だった。

 

年齢は関係なかったように思う。

この痛み苦しみは、

生きている限り、逃れることができない。

 

あのように考えていた自分に、

やはり罪悪感はあり、

でも、あれで良かったんじゃないか

という気持ちも幾分あり

ずっと混とんとしていた。

 

特に、申し訳ない気持ちで一杯になったのは

葬儀のために写真を選んでいると

父の赤ちゃんの頃の写真が出てきて

祖父母が、すごく可愛がっている。

こんなに大事な子だったのに、ごめんなさい!

と大泣きしたこともあった。

 

で今回、はっ、と思いついたことがある。

私自身は、命が危なかったことが

病気と事故で、何度かあって、

そのたび難を逃れている。

 

誰が護ってくれたかは、、、、

病気の発見は、間違いなくあゆみの働きがあるから

あゆみなのかなあ、とも思う。

 

でも父のお風呂のときは

あゆみも、生きさせようとしなかったんじゃないか?

と思え、初めてそう思ったことにより

父のことは、

仕方がなかったと、やっぱり思おう

そう考えていいことにしよう

と思えた。