一番きついのは合唱で歌うことだとわかった

2022/10/16

音楽は、まだまだと思い知ったのは

つい先日のこと。

私は、物心ついたころから音楽を習ったので

長年お世話になった先生方がおられる。

 

どなたとも疎遠になった。

以前していたことを、しなくなったから。

しなくなった? できなくなったから。

そして離れていったから。

 

ところが、ものすごく久しぶりに

先生のお一人が、手紙をくださり

「一緒に行きませんか」

とチケットを同封されていた。

 

私は、チケットが送られてくる時は、

お金だけ振り込んで、行かず、逃げてきたが

「あげる」と渡されて、困ってしまった。

 

思い出の場所に行けるようになりたい

と先日も日記に書いたが

亡くなった子とは無関係の「思い出の場」も

私は手放してしまったので、

また行けるようになるなら、今、なのかな?

と思い、「ご一緒します」と返事をした。

 

待ち合わせた場所で、人違いか?と思ったが

先生は、白髪混じりになられていた。

出演するのは、そのまた師匠で

たしか79才。

唄えるんだろうか・・・

 

舞台に現れた先生は、すっかり白髪だが

少しもやつれていなくて、以前と変わらない。

そして、

ものすごい声量で、みごとな演奏だった。

私は、こんな才能あふれる、偉大な先生に

お世話になっていたのだなあ、と思ったり

それも遠い過去、もう無縁、とも思い

続けること、どうしても、できなかったんだろうか・・

今更そういうことは、もう考えない、など

 

曲の間には、こんなことを考えて

最後の歌が終わり

ああ終わった。ここからまた私の日常に

と思ったとき、

響き渡る拍手のなか、アナウンスが流れた。

 

ロシアとウクライナの停戦を願って

みなさんと合唱します、と言う。

 

事前に歌詞は配られていなかったが

歌詞はよく知っている曲。

周りの人は、歌いだした。

 

私も、「たとえ」と言おうとしたとき

一気に込み上げ

激しく動揺し

涙をこらえるので精一杯になった。

 

たとえば君が 傷ついて

くじけそうに なった時は

かならず僕が そばにいて

ささえてあげるよ その肩を

 

教科書にも載った合唱曲。

卒業式の前になると、教えていた。

 

曲のせいにしてはいけない。

いい曲なんだから。でも、

すっかりつらくなってしまった。

 

音楽は、薬なのか?毒なのか?

と思ってしまう。

よく効く薬は、使い方が違ったら

副作用だけ出てしまう。