もっとも一緒にいたい時間まで奪った「コロナ」
2023/03/27昨日、「コロナ」をもう遠く感じた日のこと
を書いたが、
少し前までのコロナ禍においては、
わが子との最期を大きく左右する出来事も
起きていた話を聞いた。
お子さんの入院中、
重病であっても、親は回復を信じていることは多い。
だから、その日も、日常に近いかかわり方だった。
限られた面会時間に
ちょっと叱るようなことがあったが
明日は、できるだけ優しく、いい日にしよう
と思いながら病院をあとにし、
帰宅すると
家族が「コロナ」に感染していて
家族全員が濃厚接触者に。
面会に行けない・・・
その間に、お子さんが急速に悪化し
亡くなってしまった。
そばにいてあげられなかったことも、だが
最後のやりとりって、とても大事。
ずっと親の心に突き刺さったままになる。
もしかして、お子さんは
病気でも普通に接することを、望んでいた
かもしれないけれど
それは永久になぞ。
親には、後悔と自責が強く残ってしまう。
「コロナ」は、
親と子が最も一緒にいたい時まで
遮っていたのだ、と考えると
改めて、残忍なウイルスだったと思う。