助けられたあと生き残ったつらさに襲われる

2023/04/25

JR福知山線列車事故が起きて、18年が過ぎた。

106人が死亡し、562人が負傷した大事故だった。

 

事故で大けがをした2人の男性がテレビに出ていた。

当時ともに18才。

つぶれた車体の中で、長時間はさまれていて、

お2人とも、足を切断する瀬戸際までいき

どうにか切断をまぬがれた。

 

お2人に共通していたことは、もう1つあって、

生き残った苦しさだった。

 

第三者的には、

死ななくて良かったじゃない

生きられて幸運だった

と喜ぶべきこと、と思うかもしれないが

このような事故のあと、多くのご本人が

たくさん亡くなった人がいる中で

自分が生き残ってよかったのだろうか、と

罪意識に苦しまれる。

 

事故に巻き込まれただけでも、苦しいのに

さらなる苦しさ、さらなる被害を被る

大変なことだ。

 

これって、どうなんだろう?

電車事故に限らず、事故や災害が起きたとき、

誰もが、慌てふためいて逃げ出すだろう。

そのとき避難経路が限られていたら、

人をかき分けながら、逃げるかもしれない。

 

そうして全員が助かればいいが

救助が間に合わなかった人がいたとき、

必死で逃げ切った人が、あとで、

罪悪感に苛まれるのだろうか。

 

そういう目に遭ったことも

遭った人も知らないので、わからないが、

家族に対しては、

何とか逃げてほしい、と

それだけを願う。

そして命が助かったら嬉しい。

 

でも、

本人がどう思うか、だ。

命が助かっても、

心の苦しみが消えない人生

つらいものだと思う。