責めるのではなく「乗り越えてほしい」

2023/04/24

5才の男の子が、プールで溺れて亡くなった

という記事を、昨日見た時、

スイミングスクールに来ている5才の子が

溺れるかなあ・・・

きっと、飛び込んだと同時に、心臓に異変が起きた

ということではないだろうか、と

勝手に想像したりした。

 

ちがった。

きょう司法解剖の結果がわかった。

溺死だった。

思いこみの決めつけ、いけない。

 

さらにまた、勝手に想像してしまった。

溺死となると、

親御さんは、スクールを責めるなあ。

5分間、発見が遅れたことに対しても。

という私の予測を覆すように

お父さんは、次のようにコメントを出された。

 

お父さんは、息子さんのこと

「ずっと心の中にいる。もっと拓杜のこと考えていたい」

と話されたうえで、

事故が起きたプールについて、

拓杜ちゃんやきょうだいがお世話になった“思い出の場所”

だからこそ、スクール側へは

「再発防止に努め、事故を乗り越えてほしい」

と話されたそうだ。

 

ものすごく驚き、胸を打たれた。

「乗り越えてほしい」という言葉

よくおっしゃったなあ。

 

遺族に、乗り越えるは、ない

と言われている。

子どもの死を、親は、乗り越えられない。

乗り越えようとしない、とも言える。

 

それでも、スクールに「乗り越えてほしい」と。

つまり、存続の努力を応援する構えだ。

 

すごいことだなあ、

と思うし、

このスクールは、親御さんのご意向を糧に

頑張ってこの苦境を乗り越えてほしい。