不自由な体になっても感謝する生き方
2023/12/02遠縁にあたる叔母さんと話をして
いろいろと自分を見つめ直した。
私ががんの手術をしたのは20年前で
その頃、開腹手術のあとの痛みに
とてもよく効く麻酔が開発されたと聞いていた。
でも全身麻酔から覚めると、めっちゃ痛かった。
どこがとても効く麻酔なん!
イタイ、イタイと文句たらたら言った。
一方、叔母さんは、
私より少し前にがんを発症し、
その後、障害者になっている。歩行困難に。
この障害が、がんの手術によるものと聞き驚いた。
がんの進行は私よりずっと重かった。
でも、がんは治って、
麻酔の後遺症だけ大きく残った。
私は、自分が麻酔のこと
不満だけ言って終わったことを振り返る。
そして、叔母さんに尋ねた。
それって、医療ミスなのでは・・・?
追求しようとか思わなかったのか?
叔母さんが言うのは
「病気を治して貰えたから」。
んー、がんを治してくれたのは外科医で
麻酔をしたのは麻酔科医なのだから
そこは分けて考えて良いように私は思ったが
そんなこと思いもしない人に
言うのはやめておいた。
叔母さんの捉え方は、
誰が麻酔をし、誰が手術をしたか?
ということではないようだ。
危うく命を落とすところまでいき
すんでのところで救われて
もう一度、命を授けられたようなもの。
あれから20年以上も
「生きてこられたことに感謝しているから」
と話された。
私には、こんなふうにも聞こえた。
不自由な体か、普通の体か、
ということよりも
「命」のこと。
命あること、
生かされて今があるという
ことの大きさだったように思う。