お墓にあゆみはいないとおもう

2024/08/15

お盆には、お墓参りもした。

お墓の中には、あゆみのお骨が入っている。

 

あゆみが亡くなってしぱらく経ったとき

「千の風になって」という歌が流行った。

この歌が好きなわけではなかったけれど、

「そうだな」と思っていることは歌われている。

 

「そこに私はいません」

のところ。

お墓には、骨は入って入るけれど、

あゆみがいるとは、私も思えない。

あゆみの骨だけれど、

あゆみ本人に思えない感覚は、ずっと続いている。

 

じゃあ、あゆみはどこに行ったのだろう。

このことは、

現在に至るまで26年間ずっと考えて入るけれど

いまだにわからない。

 

諦めたわけではないけれど

いつしか、わからないまま置いておくようになった。

あきらめる、とは、「明らめる」

が語源で、

明らかに見ること。

 

まだ明らかにできていないから

諦めてはいないのだけど

考えてても考えてもわからないから

あんまり考えないようにしているだけ。

 

そんな理由から

私はお墓参りに行っても

あんまり気が入っていない。

 

「私のお墓の前で

泣かないでくださいー」

と歌われなくても、泣いていない。

 

「あの大きな空を吹き渡っていますー」

と歌われるのも

「だから大丈夫だよ」

と言われているような感じがして

いやせんぜん大丈夫じゃないし

となっていた頃に

お墓に行くと引き戻され

でも、境内をあとにすると、すぐまた

現在に戻る。

 

この、「戻り」が良くなったことが

生きてきた年数の、たまもの

かもしれない。