「さようなら」は終わりの言葉ではない

2024/08/27

とても尊敬している知人と、久しぶりに会った。

このかたとの出会いは、

あゆみが引き合わせてくれたようなもの。

あゆみの話をいろいろしながら、

いろんなことを教えてもらった。

 

日本語の「さようなら」は美しい

と言われて、私にはピンと来なかった。

なので、先に英語の話をされた。

私は、そっちのほうが美しいと思った。

 

Good-bye の語源はわかる?と聞かれた。

私、わからない。

 

Goodは、ゴッドで、=神

byeのbは、beで、=いる

byeのyeは、youで、=あなた

つまりGod be with youで、

「あなたが神と共にあらんことを」

という願いがこめられている、という。

 

そうかー、別れのときには

相手の無事を祈るのだなあ、

美しい!

 

ほかに、See you や、farewell もあるが

相手にかける言葉ばかりであるのに対し、

日本語の「さようなら」は、接続詞。

 

もとの意味は「左様ならば」。

接続詞だから、私は、中途半端~

と思っていた。

左様ならば、で止めて、あとは何??

続きを言ってよ~となる。

 

彼が言うには、

言われていない先を、可能性と考えるそうだ。

いま別れ、その先は未来だから、

すべてが可能性で

未来に開かれている、と。

 

私は、この話を聞きながら、

最期の別れの場合も

「さようなら」は、終わりではなく

「さようなら」の次は、未知

と受け取ればいいのかな?

と思った。

いろんな可能性のなかに

再会だって含まれるということか。