親のことは命日にぐっと思い出す
2024/11/16浴室で、倒れたままになっていた人、
家族と同居していたら
助かっていたかもしれない、と
昨日は感情的になり、書いたけれど、
そうとは限らないこと、
私はわかっていたはずなのに。
だって、同居して家にいたのに
父が浴室で倒れていても気づかず
慌てて救急車呼んでも
助からなかったのだから。
そして私はひどく悔んだのに。
これって、なんなのだろう。
つらすぎる自分の落ち度は、
日常と切り離すような
無意識にも意識の奥に置く機能が
はたらくのかもしれない。
決して忘れていない
忘れるわけがない
意識にのぼれぱ、今もぎゅっと
目を瞑るようなことなのに。
だからこそ
日常とは切り離しておき、
日々のさまざまな営みを
滞りなくこなしているのかもしれない。
親だと、命日くらいは
ぐっと思い起こし
謝ったり、懐かしんだり。
でも子どもだと
なかなかそうは行かない。
命日くらいは思い出す、など。