容易に想像が働いてしまう別れこそ

2025/01/15

お父さんとスノーボードをしていた女子大学生が

新雪に上半身が埋まってしまい、亡くなった。

 

お父さんが先に滑り、

娘さんが下りてこないので

もう一度リフトに乗って、探しに行き、

見つけたそうだ。

 

子どもの死で「後悔のない人はいない」

と先日も書いたが、このお父さんの場合、

おそらく下で暫く待っただろうから

すぐに見に行けばよかった、とか

後ろを滑ったら良かった、とか

途中で止まったら良かった、とか

このコースを滑らなければ良かった、とか

この日に来なければ良かった、とか

数えきれずの「後悔」だろう

など考えた。

 

そう勝手に考えた。

勝手に考えるのは、決めつけだ。

遺族に対し「決めつけ」はだめ

というのも、いつも言っていること。

 

お父さんは、ここに来たことや

スノーボードに対しては、

後悔はしていないかもしれない。

 

はっきりしているのは

大切な娘さんが突然亡くなって

つらい、ということ。

 

娘さんと最後の日まで一緒に過ごせたことや、

その最後の日、直前まで楽しく過ごせたこと、

親子で同じ趣味を持てたことを

喜びとして持ち続けるのかもしれない。

 

もし、そうだったとしたら、

スノーボードに来たことを、

否定的な言葉でなぐさめたり、

お悔やみを言ったりするのは

悲しみを深めてしまうことであり

勝手なことを他人が言うものではない。

 

容易に想像が働くような背景のときこそ

一方的な言葉を慎み

ご本人の言葉を待つことを

忘れてはいけない、と

再認識する事故だった。