遺族自身も偏った考えに気づくことがある
2025/02/19あゆみが亡くなったあと
家のお祓いを勧めらたと書いたが
自死のシンポジウムを主宰したお母さんが
さいごの挨拶で言われていた。
私自身にも自死に対する偏った考えが
あったことに気づいた、と。
息子さんのお葬式は
600人くらい来ていただき
自死であったことも、隠さず知らせた。
ところが、
お葬式が終わったあと、お坊さんに
この「かもい」を拝んでください
と頼んだそう。
命を絶った「かもい」。
そしたらお坊さんは
私は「かもい」は拝みません。
私は息子さんを拝みに来ました、と言った。
そこで、はっと気づいた。
どんな亡くなり方も、場所に何も残らないこと。
これは偏見の一つであること。
だからといって
決して自死を肯定しているのではない
と言っていた。
亡くなっていい人は一人もいない、と。
それは病死の遺族も同じだと思う。
亡くなったこと自体は受け入れ難いし
死因となった病気も受け入れがたい。
どんなに苦しい闘病でも
亡くなって楽になるほうがいい、とは
思うことができない。
ただ、亡くなった子のことは
どんなことも受け止めたいし
その子のすべてを認めたい。