数字と「ひと」の命は結びつきにくい

2025/10/05

久しぶりにご夫婦のお顔を

ニュースで見た。

交通事故の罪が、過失運転致死傷罪から

危険運転致死傷罪が適応されるようになったのは

3才と1才の女の子を事故で亡くされた

ご夫婦の署名活動から始まった。

 

あれから25年が過ぎた。

運転するものは、より安全運転を

心がけるようになっただろう。

 

それでも、夫妻には

複雑な思いがあることを

今回のインタビューで知った。

 

かつて交通事故で人を死傷させたら

すべて業務上過失致死傷罪だった。

過失とは、不注意。飲酒運転でも。

 

納得いかないと、夫妻は立ち上がり

のちに、速度やアルコールの濃度で

「危険運転」とする基準が明確になった。

 

これで完結だと私は思っていた。

が、そうではないらしい。

 

時速150キロ以上とした場合

149キロは危険運転にならないのか?

アルコール濃度0.25mg/Lとした場合

0.24なら危険運転にならないのか?

という問題が残る。

遺族としても割り切れない思いも残る。

確かに。

 

運転の場合は、

厳罰が待ち構えていることも大事だが

運転する人それぞれに、悪質な運転を

根絶する覚悟があるのか?

が問われており、それが大事なのだ

と夫妻は訴えている。

 

病気の場合は・・・

私は、病気も(病魔による)被害

と言っているが

姿ある加害者は、いない。

予防もなかなか難しい。

それでも、人を数字で示すとき

いい気がしない。

 

何人罹患して、何%が重症化し

そのうち何%が死に至る

といった表現や

今年〇人死亡の中の「1」があゆみ

という思考には、

なかなかなれなかった。