「私らしい死に方」について考えた
2025/10/13一昨日書いたワークショップでは
「その人らしい死にかた」
について話し合う時間もあった。
参加者の多くが看取りに寄り添う職種
であったことから「その人」のこと
を考えたが、私は私のことを考えた。
私らしい死に方、とは?
やはり認知症になった母と重なり
長くないほうがいいな
と思ってしまう。
あ、でも、もしかして、
母とは無関係に
もう十分生きましたわ
という感覚が私にはあって
この先、もう長くなくていい
と思っているような気がする。
あゆみが亡くなったとき
果てしなく遠い余生にクラクラした。
よくぞ生きてきたよ私。
だから、執着は何に対してもない。
幸いなことに認知症にならなければ…
まず「私らしく」を考えないと。
「小さないのち」はしていたいな。
そう、何にもしないで
「小さないのち」だけすることにし
東京や遠出ができなくなったら
大阪近辺でだけ集まって
それもできなくなったら
家に来てくれる人と会う。
それだけは、さいごまでしよう。
私らしく生きて、私らしく死ぬ、は
これだな、と思った。
その頃には
孫のようなママと会っているだろう。