患者に「疾患」以外の苦痛を背負わせないため
2025/12/11録画していた医療ものドラマで
興味深い言葉があった。
疾患と病。
ドラマでは
「疾患は体の不調。病は…
考えてみて」となる。
この論点、
学生時代に教科書の1つにあった
アーサー・クライマンの
「病の語り」を思い出した。
疾患は、病気そのもの。
病は、「疾患」がもたらすさまざまな苦痛。
疾患の苦痛よりも種類は多い。
精神的苦痛、社会的苦痛、経済的苦痛…
疾患、病、どちらもつらい。
ただ、疾患がもたらす体の苦痛は
患者だけが感じるけれど、
病の苦痛は、
患者と、家族にももたらされる。
家族もつらい思いをする。
それはそうだけど、私はむしろ
家族は、患者だけが感じる
疾患の苦痛のことを、
とてもつらく感じているように思う。
「代わってやることができない」
という悲痛な声を、
子どもの親からはよく聞く。
子どもの疾患に限ったことでなく、
患者との関係性によるもの。
患者もまた
「病」が疾患よりもつらいかも知れない。
親や家族まで苦しめて、
と思ってしまうと。
だからだ。
子どもの病室で、親が明るく努めるのは。
心が折れないよう自分を鼓舞するため
のように映るかも知れないが
それだけじゃなく
子どもに、疾患の苦痛以外のものを
背負わせてしまわないため。
先日書いた
「泣いていいんですよ」などは
大事であるけれど
もし、安易に言っているとしたら
わかっていない。