私もメディアのおごりに加担している?

2025/12/26

不意に入ってきた動画に目がとまった。

ひどく怒っている人がいる。

元東京都知事の、石原慎太郎氏。

この方、辛口で、無神経くらいの印象を

私は勝手にもっていたが、

そうではなかったようだ。

 

怒っているのは新聞記事に対してで、

全盲の青年へのインタビュー記事のこと。

石原氏は青年の名前を口にしていないが

ピアニストの辻井伸行さんだ。

 

記者は、青年にこう尋ねている。

「もし目が見えたら何が見たいですか」

 

私は、この質問に違和感はなく

辻井さん、目が見えたら何が見たいだろう。

聞きたい!と思った。

 

一番に浮かんだのは、楽譜。

音符のある譜面が見れたら

どんなに演奏が楽だろう、と。

だったら鍵盤も見えるのだ。

 

と思ったとき、気づく。

コンクールで世界一になるほどの人が

手元が見えるとか、音符が読めるとか、

そういう一般的なこと

必要としていないだろう。

 

そしたら!

お父さん、お母さんのお顔かな?

 

辻井さんが小さい頃

お母さんが才能に気づいていなければ

世界的ピアニスト辻井伸行は存在しない。

そんなお母さんのお顔、見たいよね…?

 

本人の回答は、その通りで

「両親の顔が見たい」だった。

さらに、

「心の目で見ているので満足しています」

と付け加えている。

 

やっぱりなあ。

辻井さんほどの人は、

見えているのも同然なんだ。

満たされていることがわかる。

もしかして

目で見ること以上にわかるのかもしれない

とさえ思えた。

 

だから私がその新聞記事を見たなら

感動した一人かもしれない。

ところが!

石原氏は「失敬千万」と怒っている。

 

失敬千万とは、

ひどく礼儀を欠いた言動や態度をとること。

相当怒っている。

 

私は、すぐには状況をつかめなかった。

 

「ばかな質問じゃないか。

奢りだよ、メディアの奢り。

本人はいい記事書いたつもりかも知れないけど

記者としての資質が問われる問題だ」

と指摘。

 

私のような読者がいるから

メディアは奢るのか?

私は何が分かっていないのだろう・・

何に気づけていないのだろう・・

 

よく考えてみた。(つづく)